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やまびこ 2015年5月号 をお届けします。

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この写真は、どこか分かりますか・・・・

「まいんど3月号」に「世界に誇る日本のジュエリー技術」という記事が掲載されていました。その中に『石見銀山』のコラムがあり、2年前「出雲大社遷宮」の年に行った記憶がよみがえり、懐かしい気持ちで記事を読みました。

 石見銀山の貢献者    安原備中(伝兵衛)

 安原伝兵衛は、安土桃山時代末期に備中から石見銀山にたどリ着き、銀山の開発に取りかかります。ところが、採掘はなかなか順調に進みません。それでも伝兵衛は、観音菩薩への祈願後に見た「銀の釜を賜る夢」を心のよりどころに、来る日も来る日も山を歩き続けました。ようやく新たな坑道の開発に成功してからは、石見銀山には「シルバーラッシュ」が到来します。
伝兵衛は、徳川家康に多額の銀を運上銀(税金)として上納。その功績により出身の「備中」の名を授かりました。伝兵衛は郷里の神社の再興に尽力したことでも知られます。当時、日本産の銀は、世界で流通する銀量のかなりの割合を占めていましたが、その大半は石見銀山から産出されたものでした。


上の写真は、そして右の写真も同じ、
安原伝兵衛が開発した坑道「釜屋間歩(かまやまぶ)」の入□の写真です。





写真提供:石見銀山世界遺産センター



合わせて私のブログもお読みください。
http://goo.gl/nKsfwm
               

「世界に誇る日本のジュエリー技術」の記事に以下のコラムも掲載されていました。
ジュエリーに関心のある方は、ぜひお読みください。

世界の女性に真珠を    御木本幸吉

 御木本幸吉は、地元である三重県鳥羽で、真珠を宿すアコヤガイが乱獲によって絶滅するのではないかとの思いから、真珠の養殖に乗り出します。その後、妻のうめや家族の支えの下、赤潮の被害や資金難を乗り越え、明治26(1893)年には真珠の養殖に成功。その後も10年以上の歳月を費やして、真円の真珠を実現させました。こうして、その名は養殖真珠の発明者として世界に知られるようになります。それまでは一握りの女性だけを飾っていた真珠でしたが、幸吉が願ったとおり、今では世界の女性を輝かせています。

1858(安政5)年〜1954(昭和29)年
明治天皇に拝謁した際には「世界中の女性を真珠で飾ってご覧に入れます」と上奏したという






写真提供:株式会社ミキモト





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